しばらくして夕香が来て何も言わないのに後ろに乗り込んだ。意識的になのか体を摺り
寄せてきて意味もなく緊張させられる。咳払いを一つしてから月夜は振り向いた。
「先公にみつかんのがめんどくせーから裏道行くからな?」
「どれぐらい」
「いつもより早いがちゃんと掴まってろよ」
 そう言うと発車させた。夏の生ぬるい風が頬を撫でて髪を靡かせる。ずいぶん髪が伸び
た。春には頬にかかる位の脇の髪の毛が今では肩につくかつかないかまできている。そろ
そろ切らないとな思いつつも裏道の曲がりくねった道を行く。そして学校裏の雑木林を囲
む破れたフェンスの向こうに原チャリを隠して裏門から入った。
「髪留め持ってないか?」
「ゴムなら」
「貸してくれ」
 夕香から貸してもらうと手早く一つに束ねた。あまり外に出てないゆえの顔の白さがそ
の日差しにさらされる。
 校内に入ると二階にある教室の騒がしい音が聞こえた。案の定何か争っているらしい。
溜め息をついてから上靴に履き替えて二階に駆け上がった。そして教室に入ると全身絵の
具だらけでつかみあう女子たちのなんとも奇妙な現実があたりに広がっていた。
「何してんだよ、お前ら」
 呆れてそう言うと和弥が寄ってきて耳元で話し始めた。どうやら二つのグループで月夜
の争奪戦による言い合いが発展してつかみ合って舌戦を繰り広げるようになったらしい。
赤、茶、茶色が混ざった不気味なオレンジなど辺りには誰かしらの手の跡がびっしりと床
のタイルに張り付いている。出来の悪いホラー映画のような状況に陥っているような気が
した。
「んで、どうすればいいんだ?」
「お前はどっちだ?」
「どっちでもいいが、俺は入らないほうが無難のような気がする」
 どちらかに入れば入らなかったほうのグループの女子がまたごちゃごちゃうるさくなる
だろうと思った。実際そうであってこの二つの中間に位置する仕事はないのかと目で問い
掛けると肩を竦めて和弥は呟いた。
「総監督」
 それもそれでめんどくさい。いつ学校に行けるか分からないのだ。そんな仕事受けても
こっちが困る。
「お前は?」
「めんどくさいからまだ決めてない」
「じゃあ、俺入ってお前が俺のゴースト。まあ、俺がいないときの」
「副監督?」
「ああ。あと、女共の仲裁として夕香もそれにする」
「分かった」
 和弥は役目が書いてある黒板の空いたところに、総監督、藺藤。副監督有山、日向と書
いた。そして頃を見計らってバンと強く黒板を叩き、言い争っていた女子たちと半ば呆れ
顔でその状況を見ていた男子が黒板に注目した。絵の具臭い不思議な沈黙が訪れた。
「これでいいか?」
 まとめる立場である和弥は教室中を見回し地声より低い声で言った。それを聞きながら
月夜は、これは了承を取っているのではなくただの脅しだろとふと思った。その低い声は
教室中によく響いた。そして全員がこくりと頷くのを見て月夜に視線を送った。
「まあ、とりあえず、俺がこういうことになったから指示に従うように。まあ、いつ学校
にこれるかわからないから、実質、いつもの準備などは和弥が出す事になる。俺はやるも
んに対してなんか言うと思うから。そこんとこは」
 覚悟しておけといい、とりあえず出来の悪いホラー映画のワンシーンのような不気味な
教室の後片付けをさせて溜め息を吐いた。
「めんどくさそうだな」
「しょうがないだろ。いつものように?」
「いや、寝込んでた。まあ、何日寝てたかもわかんない状況だからな」
 肩をすくめつつ月夜は和弥に返した。夕香は後片付けの手伝いをしている。それを眺め
つつ体弱すぎだと和弥は言って来た。三馬鹿と呼ばれているがそれぞれ違うクラスに振り
分けられている。流石に一緒にすると問題しか起こさないだろう。先生も考える物だなと
春に妙に感心したのを覚えている。
「そう言う事だ。また寝込んだりするだろうし、引越しとかも入ってくるかもしれない」
「何で?」
「昇格」
「早いな、四月に入ったばっかりだろう?」
 それだけ優秀なんだよと言ってのけると片付いた教室を見た。相変わらずに制服につい
た無残な手の跡を纏った女子たちはまだなんだかんだと言っている。夕香はそれを離れた
場所でみて月夜に向かって肩をすくめて見せた。
 そして、月夜を責任者としてようやくこの月夜にとって不毛な争いは収束に向かった。
 数ヵ月後の文化祭についての話し合いが終り月夜は人が引くのを待って夕香とともに帰
った。部屋には取り残された嵐が冷房をつけて待っていた。昼頃から居座っているとすれ
ば五時間つけっぱなしだろう。部屋が薄ら寒く月夜は身震いをした。外で汗をかいていた
故にその汗が一気に冷やされたのだ。
「教官が引越しの用意をするようにだと」
 なぜかついてきていた夕香と部屋の主たる月夜に嵐は言い放った。そして嵐はそのまま
部屋から出て行った。
「何で引っ越さなきゃなんないの?」
 先ほど話したばかりなのだがと呆れつつも夕香に言っても無駄だと判断してそのわけを
分かりやすく説明する。
「支部違うからだろう。しょうがあるまい。まあ、遂行班の支部の方は嵐の実家の方だか
らな。あれは実家から来るだろう。……」
「どうしたの?」
「いや、部屋のつくりを思い出してな、2LDKだったはずだったが?」
 何が問題あるのと聞き返したがふと思い出した。確か、遂行支部の寄宿寮の部屋が大き
い為、部屋数が少ない。そしてその為に班員は支部の近くに実家がない場合、同居する事
が原則だったはずだ。夕香はさあと蒼くなった。
「そう言う事?」
「たぶん」
 その言葉に夕香と月夜はがっくりと首を落とした。互いに見合わせどちらともなく苦笑
に近い笑みを浮かべた。
「学校の連中に気付かれない様にしないとな」
「そうね。三馬鹿注意?」
「ああ」
 慣れた仲間だ。一緒に暮らすのも悪くはない。そんな気持ちが互いの心に芽生えていた。
互いに笑い合うと月夜が晩御飯を作り始めた。その傍らで手伝うのは夕香。二人の間に流
れるのは互いを想いあう暖かな空気だった。



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